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滋賀県推進協議会最新情報

こんにちは、ナンシーです。
私がこのブログを更新するのも、今日が最後となりました。

昨年の4月にりょう先輩からこのブログの更新を引き継ぎ、戦国ゆかりの地をご紹介してきた一年間。

江の生まれた小谷城跡に立って、三姉妹も眺めたであろう景色を眺めてみたり、

草津市の鞭崎八幡宮に残る膳所城の門など、見慣れた市街地に残る遺構を再発見したりと、
滋賀県の様々な場所に残る戦国の息吹を、肌で感じた一年間でした。

また、お江ちゃんたち三姉妹&キャラバン隊も1年間全国へのPRに駆け回り、
ときには被災地を訪問してイベントのお手伝いをするなどして、活躍してくれました。
私自身も全国から三姉妹の写真が届くのが楽しみで、紹介にも力が入りました。

滋賀県には、ご紹介した他にもまだまだ戦国ゆかりの場所があります。
信長が築いた近江八幡市の安土城跡、家康が三成の佐和山城を攻めた際に陣を構えたと伝わる彦根市の長久寺、浅井三姉妹の兄弟、万菊丸が身を隠して生き延びたとされる米原市の福田寺…
近江の歴史は調べれば調べるほど奥深くて、次々に行きたい場所が出てきます。
次はあなたが滋賀県の、お気に入りの場所を探す旅に出てみませんか?

戦国の舞台、江のふるさと・滋賀県で、お待ちしています!

おはようございます、ナンシーです。
今日ご紹介する場所は、近江出身で石田三成の盟友といわれる武将、大谷吉継の首塚です!

首塚があるのは、JR米原駅西口から歩いて800メートルほどの場所です。
閑静な住宅街を抜けて、まずは駅の北西にある下多良(しもたら)神社を目指します。

この下多良神社の左側の道を抜けて、

まっすぐ歩くと、

ほどなくして、右手の田園の中にちいさな祠が見えてきます。

この祠が、吉継の首塚です。
祠の中には、石造りの五輪塔が大事そうにまつられていました。

吉継は若い頃から秀吉に仕え、賤ヶ岳の戦いなど数々の戦で活躍しました。
同年代の三成とは九州征伐・小田原征伐・文禄の役・太閤検地などで共に奉行をつとめており、とても仲がよかったといわれています。

徳川家康と三成が対立した際、家康とも懇意であった吉継は、三成に家康相手では勝ち目がないと説き、戦を回避すべく心を砕いたそうです。
しかし三成の決意が固いことを知り、吉継は友のために三成方で戦うことを決意しました。

関ヶ原での吉継の奮戦はすさまじく、徳川方に寝返った小早川秀明の軍勢1万5000を、あらかじめ小早川軍を警戒していた600の兵で迎え撃ち、一時は撃退してみせたといいます。
しかし他にも寝返るものが出て、猛攻を受けた吉継の軍はついに壊滅、吉継は自害して果てました。

吉継の甥の祐玄は吉継の首を錦の袋に入れて持ち出し、敵の手に渡らぬように埋めて隠しました。
その場所が、この首塚だと言われています。

首塚はのどかな田園風景の中、空のきれいな静かな場所で、ひっそりと祀られていました。
吉継の首が敵軍に渡ることなく、静かにここで弔われているのだとすれば、
それはすこし救われることのような気がしました。

戦乱の世で友情に殉じて散っていった吉継のことを思い、祠の前で手を合わせ、目を伏せました。
空はどこまでも広く、遠くまで広がっていました。

※塚はだいたい緑の矢印の場所にあります。

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こんにちは、ナンシーです。
3月から、滋賀県キャラの「うぉーたん」がtwitterをはじめましたよ。

うぉーたんのtwitter
お知らせやイベント情報など、滋賀に関するいろんなことをつぶやいています。
おいしいもの好きの私は、近江牛うどんの写真が気になりました。うぉーたん、グルメなんですね。
滋賀県ファンには必見のつぶやきが満載ですよ!

さて、3月11日にお江ちゃんが登場してきた多賀SAは、かつて敏満寺というお寺があった場所です。

上りSA内に、敏満寺遺跡を示す案内板がありました。
別の場所には、石碑も建っていましたよ。

エリア内には公園もあります。上は上りSAの写真で、下りのSAにも遺構があります。

敏満寺は9世紀ごろに成立し、鎌倉・室町時代には朝廷の帰依、幕府の保護を受けて隆盛を極めた、湖東の一大寺院であったといわれる寺院です。
しかし、次第に近江の守護大名・佐々木氏と対立するようになり、たびたび兵火に遭いました。
そうした歴史の中でお寺も次第に武装化、城塞化していったとみられています。

戦国時代、敏満寺は浅井氏と対立していた久徳氏に味方したことから
永禄5(1562)年に浅井長政からの攻撃を受け、坊舎のほとんどが焼失してしまいました。
さらに元亀3(1572)年に織田信長との対立で残りの坊舎を焼かれ、廃寺となったといわれています。

残った礎石も慶長年間(17世紀初頭)、彦根城普請のため運び去られたそうです。

建物は失われてしまいましたが、現在も地形に土塁や空堀などの痕跡をみることができます。

土塁を別の角度から。こうして土を積んで、お寺を守ってきたんですね。

そう、現在放送中の大河ドラマでは、平清盛は白河法皇の息子だとされています。
実はその説の根拠のひとつとされているのが、敏満寺にあった文書『仏舎利相承図』なんです。
この文書は敏満寺に伝わってきた仏舎利のルーツを示すもので、祇園女御の妹について
「白河法皇の子を懐妊後、忠盛がこれを賜り、生まれた清盛は忠盛の子息となる」
と記されているのです。
清盛の出生の秘密につながる文書が近江にあったなんて、なんだかすごいですね。

古い歴史を持ち、ひとつの時代に隆盛を極めながら、戦乱の渦中に姿を消した敏満寺。
今はサービスエリアにある全国でも珍しい城跡として、ひとびとの憩いの場となっています。

※多賀サービスエリアには、一般道からもアクセスできます。


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こんにちは、ナンシーです。
3月22日、滋賀ロケーションオフィスがNHKさんから感謝状をいただきました!

滋賀ロケーションオフィスがNHKさんから感謝状をいただいたwo... on Twitpic
うぉーたんのtwitterより)

大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」撮影時の支援に対する感謝状です。
滋賀を舞台にした一年間のドラマが終わり、あらためてこんな風に感謝状をいただいて、
滋賀ロケーションオフィスのみなさん、感激していましたよ。

大河ドラマ「江」でロケ地としての滋賀県が注目を集めたこともあってか、続いて放送中の大河ドラマ「平清盛」1話~11話でも、滋賀で撮影されたシーンが何度か登場しました。

滋賀県庁2階の連絡通路では現在、大河ドラマ「平清盛」ロケ風景のパネル展を開催中です!

これまで、諸事情によりはっきりとお知らせできなかった登場シーンも、
撮影時の写真とエピソードの入ったパネルで、ばっちり紹介しています!
放送時、滋賀で撮影されたシーンがどこだかわからなかった!という方も、
しっかり放送をチェックしていた大河ドラマファンの方も、必見の展示ですよ。

パネル展は4月2日から県庁3階の連絡通路に場所を移し、4月13日まで開催されます。
お近くにお越しの際は、ぜひぜひいらしてくださいね。

こんにちは、ナンシーです。
3月19日、大津プリンスホテルにて
大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」滋賀県推進協議会第3回総会と、
「江」のチーフディレクター・伊勢田雅也監督の講演会が開催されました!

いらっしゃいませー。お江ちゃんが、いらした方をお出迎え。

総会会場には成果物のひとつとして、お江ちゃんたち三姉妹のグッズも展示されました。
テーブルがたくさんのグッズで埋まっていますが、実はこの展示は製作されたもののほんの一部。
昨年いただいたお江ちゃんたち三姉妹のキャラクター・ロゴの申請は、実に800件近くあったんです!
たくさんのグッズを作っていただいて、みなさんのお手元でかわいがっていただいて、うれしいです。

総会では委員の皆さんが、協議会が設立された2010年2月からの活動を振り返りました。

あわせて開かれた伊勢田監督の講演会では、スクリーンで第一話の映像を見ながら
監督が撮影の様子を振り返ってお話をされました。

現場の裏話も盛りだくさん!
「琵琶湖を撮影する際、最も大変だったことは何だと思いますか?」なんてクイズもありました。
正解は、「現代物が映らない場所を探すこと」。時代劇にビルを映すわけにはいきませんものね。
伊勢田監督は撮影場所を探すため、琵琶湖を何周もされたそうです。

また、小谷城のシーンではあくまで実際の小谷城跡で、現地の方に参加していただくことにこだわって撮影をされたそうです。
エピソードのひとつひとつから、監督の熱い思いが垣間見えた気がしました。
監督ならではの興味深いお話に、応募してこられた一般のファンの方も熱心に耳を傾けていました。
私も久しぶりに第一話の映像を見て、もう一度ロケ地になった小谷城や彦根城を訪ねたくなりました。

大河ドラマ「江」の放送が決定した2009年6月からの3年弱、「江」旋風に湧いた滋賀県。
盛り上がりのひとつの区切りともいえるイベントを飾る、とってもすてきな講演でした!

ひかえめな県という印象があるものの、実は多くの魅力的な歴史スポットを持つ滋賀県。
大河ドラマ「江」をきっかけに滋賀の魅力に触れてくださった方たちが、
ドラマが終わってからもまた、滋賀を訪れてくださればうれしいです。